絵画に絞る方がいいのか、多様性にを伝えるべきかずっと考えています。 私にとっては月蔵寺での暮らしの中での導きと、義父(月蔵時、40世住職)が晩年の 20年間を京都の本山本法寺の貫首様に普山した事が多大な影響を受けた事と思います。 自坊での仕事の忙しい中、早朝より車を走らせて本山での行事のたびに手伝いに伺ったものです。壮大な伽藍を擁するお寺でした。 そこには安土桃山時代の絵画や工芸品が多くあり、日蓮宗の中でも多くの宝物を有する寺院でも ありました、 毎年8月には立正大学の先生方が来られて宝物のお風入れ、虫干しと共に調査が行われました。 沢山の宝物の為、3年周期でしか見ることが出来ませんでした。狩野派や長谷川等伯の絵画、尾形光琳、本阿弥光悦等々の作品があり、まじかに初めて見る本物の美術品に驚嘆の念を覚えました。先生方のお接待の合間を縫って拝見するのがとても楽しみでした。それは私の30歳代のことでした。 時は移り月蔵寺本堂の大がかりな修復、客殿庫裏の新築、住職自らの庭造り、宝物の修復等々を 終えると50歳代半ばを迎えていました。 老後に備えて何か打ち込める事はと考え、若い時に見た本法寺様の日本絵画を思い起こし絵画教室に通い始めました。 最初に素晴らしい絵画に触れてしまったがために、そこでの学びに満足を覚えることが出来ずにいました。いつか美大に進学したいと夢を描く日々でした。
92歳の本法寺貫首様を見送り、一般受験をいたしました。60歳からのスタートでした。 国公立大も踏まえ、若い方々とセンター試験も受験し、美術専門の予備校にも通いもし、しんどさも覚えつつの日々でした。 学部、大学院と6年間大阪-京都往復5時間かけて卒業まで通うことが出来ました。植物園、 動物園、水族館、花咲く公園とあらゆる所へ出かけ写生をすることが楽しみでした。 しかし、大学とは教えないもの、先生や上手な先輩、同級生の作品を見ては感心し、気後れも感じたりしながら、美術史、文学などあらゆる講義を受講するのがとても楽しかったように思いま す。 日本画とはあまり関係性がない様にも捉えがちに思われつつ3回生の後期にはスコットランド (GSA)グラスゴー美術大学へ留学いたしました。 生活者として異文化に触れいろんな表現者に出会いました。柔らかい、自由な発想に触れ、 逆に日本文化の奥深さも覚えました。 帰国すると4回生なりましたが、何一つ出来てない自分でした。 あと2年学ぶことにしました。迷わずに天井画を描くことに決めたものの、初めてのことで 先生方にも教えていただけず、1人試行錯誤の日々が始まりました。院生の1年間は写生に費やしましたが、中々前に進むことが出来ませんでした。そんな私の背中を押してくれる先生がおられ 作品にまで辿り着いた次第です。天井画の説明文にも書きましたように色々な描き方、デザイン的なものや、色の統一感も様々な仕上がりになりました。でも私1人が描いたものとすれば、そこには何かしらの制作者の心持ちも感じていただければと思います。 現在は秋、春の日展に出展し作品発表を心がけています。 ライフワークとしまして、天井画の制作に精進することができるようになりたいと思います。
徒然なるままに 拝
2023年5月16日 金山裕子